社会人として仕事をしているわけだが、会社に居ると「あたりまえだろ」「常識でしょ」という言葉が時々聞こえてくる。
「何でわからないの?」「あたりまえの事だと思わない?」「考えればわかるでしょ」「普通こうでしょ?」。形を変えて、結構皆が何気なく口にしている言葉だ。大抵、立場が上の者が下の者である部下や後輩に対して使っている。社会に出る前も教員などが口にしていた記憶があるので、仕事のシーンに限らず、理解が悪いと判断した他人を詰めようとするときに出てくる言葉なのだろう。
これらの言葉を聞くたびに「自分は絶対に口にしたくない」と思う。また、同時に「少なくとも仕事の場では絶対に口にすべきではない言葉だ」とも思う。
理由は簡単で、常識なんてものは、企業をはじめとした組織や共同体の数だけ無数に存在するから。そして、なにより人間一人一人の考え方や物事の捉え方が千差万別でもあるからだ。
しかしながら、「常識でしょ」という言葉は大抵、自社にだけ存在する常識=組織文化を、さも世間の常識のごとく一般化する形で使われている。実際には、その常識はガラパゴス化した特殊なものなのだが、そんな可能性は想像すらしていないのだろう。
本当は「自分の感覚が当たり前」なんて認識を持つこと自体がおかしいはずである。ましてや、異なる人間たちと協力し合う必要がある仕事の場で口にするなど論外だ。
今、「常識でしょ」と口にしている当人に対して、劣っているだとか、狭い世界に生きているなどと軽々しく批判する気は一切ないけれども。
自社の常識は社会の非常識ーしかし認識できない人も多い

一つの環境に長く身を置くと、その環境に疑いを持たなくなる傾向があると言う言説は一般的かと思うが、実際に「自社の常識を世間の常識だと思い込んでいる人」に出くわすことは多い。
筆者は内勤なので会う人間は基本的に社内の人であり、社外の人間とはたまに電話をするくらいしか基本関わりがないのだが、それでも身に染みて感じるレベルだ。
この手の自分の中の常識=世間の常識と認識している人間は「ウチの会社じゃこうだろ」とは言わない。「社会人ならこれがあたりまえだろう?」という体で話をする。自分が間違っているとか、他の考え方をする人がいるとか、自分の感覚と世間の感覚がずれているとは微塵も想像していない。だから余計にタチが悪い。
自分が社会経験が豊富だとは一切思わないが、筆者は現在働いている組織とは全く違う業界の、全く違う規模の企業に勤めたことがある。そして、前職で全く違う組織文化に身を置いていた人間としては、自分の中の当たり前を押し付ける言動には呆れてモノが言えない。耳にする度、首を傾げるフクロウよろしく、毎度首が90度傾きそうになる。
自社での勤務経験しかない人がこんなことを口にするので、毎度どこから突っ込んでいいのかわからなくなるのだが、これを言うのが総合的評価としてはとても尊敬できる先輩社員だったりするので何とも悲しい。
同業他社に勤める知り合いも同じやり方をしてると言っていた?せいぜい、業界の常識か当該職種の常識を世間の常識だと思い込んでるという大差ない話ではないだろうか。そのパターンも複数回目撃している。
商習慣は業界の数だけ存在し、さらに会社の数だけ組織文化がある。なんなら部署の数、プロジェクトの数だけ組織文化があるといっても過言ではないだろう。人が2人以上集まれば、コミュニケーションが行われ、共通認識などが形成されていく。その結果生まれるのが文化なのだから。
だから、自社の常識、自分のコミュニティの常識は世間の非常識である可能性も十分にあり得るということは常に心得ておかなくてはならない。
組織文化は法則性がないから掴みにくい|他者への言語化と説明は義務だ

「自社の常識は世間の非常識」「仕事では「当たり前」と言う言葉は使わず説明すべき」という話をすると、「そのくらい周囲を観察して把握しろ」というような謎の根性論で反論してくる人がいる。これには明確にNOを言いたい。
組織文化は、企業ごとに異なる業務内容の特徴や経営層の考え方、現場の人間の性格や価値観など、様々な要因が合わさって成立する。全く同じ組織文化を持つ企業や組織は二つとして存在しないし、法則性を見出すことも難しい。
さらに、組織文化は社員が共通する一種の共通認識であることから、明文化されずに暗黙の了解として企業に浸透している。それを外部から正確に読み取るのは困難だし、共通認識を持たない部外者や新人に対して、周囲を観察し、文化を察して自力で把握するよう要求するのはただの無茶振りである。
組織文化は組織の大小を問わずどこにでも存在する。仕事においては、企業全体に組織文化が存在するだけでなく、部署ごと、職種ごとといったあらゆる組織単位でそれぞれ独自の文化、共通認識や暗黙の了解が存在していることを忘れてはならない。他社という外部だけでなく、身内である社内にもコミュニケーションの混乱の火種はいくらでも存在する。
組織文化が悪いのではなく、それを説明しないこと、暗黙の了解を常識とはき違える態度が悪い。社内外を問わず、あらゆる関係者に対し、自分の所属する組織の組織文化をキチンと把握/言語化/客観視したうえで円滑なコミュニケーションを心がけることは社会人の義務と言って差し支えないだろう。
そして、これがなかなか難しい。長く組織に所属し、同じ共通認識や暗黙の了解を共有する人間と長く時間を過ごすにつれて、自然と人は組織と組織文化に染まっていく。そして、普段、周囲に問題なく通用している、組織文化に適応された自分の言動を当然のものと誤認する。
特に同じ社内の人間に対する態度が危ない。「同じ会社の仲間だから伝わって当然」という慢心がトラブルを生む。相手より自分が上の立場だったときは、強い言動で相手を傷つけてしまうこともある。
考えることは労力が大きい。だから、何かと理屈をつけて自分を正当化しようする人も多くいる。異なる考えを攻撃したり、目を背けたりする人も多くいる。
けれども、自分の物差しを疑うこと、相対化することから逃げてはいけない。それを辞めることは、他人を尊重することを辞めることと等しいのだから。
人は違って当たり前で、存在価値に優劣はない。上下関係も同じ組織に所属しているから生まれたものに過ぎず、上司も部下も先輩も後輩も、取引先の社員も会社を出ればただの他人、一人の人間同士である。
そんな他人を尊重できない人間は、人として大切なものを失ってしまっている。
組織文化のガラパゴス化が加速する原因5選

「自社の常識は社会の非常識」というマインドを手に入れても、実際に自分が所属する企業をはじめとした組織が持つ組織文化の特異性を把握するのは大変なことが多い。これを考える人は既に組織の内側にいるのだから、客観視が難しいのは当然だ。
しかしながら、(あらゆる組織に独自の組織文化があるのは大前提として)企業の組織文化の特殊性を強化し、お作法を増やし、企業文化のガラパゴス化と浮世離れを加速させる要因には共通点がいくつか存在するので紹介したい。
1.業界や業種の歴史の長さ|確立された商習慣は独特のお作法を生む

これは想像がつきやすい要素だが、業界や業種はその歴史が長いほど、凝り固まった業界独自の常識や商習慣という「文化」が生まれやすい。
黎明期の業界や業種はあらゆる要素のデファクトスタンダードが定まっていない。常識や商習慣は柔軟に変化するため、業界が企業風土に及ぼす影響は限定的である。
一方で、歴史が長い業界は、商習慣をはじめ、様々な要素で業界標準の文化が完成されており、大きく変わることは少ない。そして、企業経営はすでに出来上がった業界の事情に沿う形で行われることから、社内に独特のルールやお作法が生まれやすい。
筆者も団体職員として業界団体のような所に努めているが、外部から見れば謎の風習や商習慣が無数に存在している。特定を避けるために具体的な業種や業界は挙げられないが、昭和どころか大正時代以前から普通に存在する長い歴史を持つ業界であり、規模も大きいため、無駄を感じても自分たちだけではどうしようもできない部分も大きい。
2.業界や業種に対する規制の強さ|仕事を複雑化させて特殊性を高める

法規制や業界団体等が定める自主規制が強い業界や業種には、規制によって他業種にはない独自の仕事や手続きなどの業務が往々にして発生する。
結果、その業界独自の独特の商習慣やお作法が生まれやすい。そして影響が各企業にも及び、その業界に所属する企業にも独特の特殊な組織文化が形成されるケースが少なからず見られる。特に、業界をピンポイントでターゲットにした専用の法律や規制、法手続きが存在するような業界は要注意だ。
例を一つ挙げてみよう。
この便利WEBのライターに信販会社に勤めている人間が居るのだが、勤務先には「割賦販売法」や「貸金業法」といった消費者金融業界への関係が深い法規制と、それに関連して業界団体が設定した自主規制の遵守にまつわる複雑な社内手続きが大量に存在していると教えてくれた。社内向けの仕事量が尋常じゃないとぼやいていたので相当らしい。
また、金融業界全般に言える話でもあるようだが、個人情報の取扱いの厳しさに端を発し、情報管理が異常に厳格な社風が形成されているとのことである。今も現在進行形で、際限ない情報管理の強化に突き進んでおり、どんどんルールが増えていっているそうだ。
実際、前に飲んだときに、部署横断のプロジェクトに際して自部門の業務マニュアル(※機密と呼べるものは特に書かれていないらしい)を他部署に共有するだけなのに、お作法と社内規定に則って稟議を通さないといけない運用が出来上がっているという話を聞いた時は笑ってしまった。流石に盛っているだろう思ったのだが、本人曰く誇張でもなんでもないとのことなので苦労がうかがえる。
3.企業規模と歴史の長さ|複雑な組織や古株が独自ルールと「お作法」を生む

こちらは非常に想像しやすいであろう要素だが、その企業の規模の大きさや、歴史の長さに比例して組織文化は特異になる傾向が見られる。これは業種や業界を問わず当てはまる普遍的な傾向ともいって差し支えないだろう。
まず、企業規模が大きくなると、社員に部署に取引先やらと仕事に関わる人間や組織の数は当然増える。すると円滑に仕事を回す手段として根回しの重要性が増す。加えて、各種手続きとそれにまつわる社内ルールといった、独自の様々なシステムも整備されていく。その結果として、外からは絶対に窺い知れない独自の組織文化やお作法が作り上げられていくのだ。
そして、会社の歴史の長さが独自の組織文化の形成に拍車をかける。
企業に限らず、人間が集まって作られている組織やコミュニティなどのあらゆる集団は、発足から時間が経つにつれて、その集団に長く所属している古株が出現する。会社で言えば、勤続年数が長く社内人脈も豊富な「ベテラン社員」という存在だ。
この手のベテラン社員は、積極的に社員同士を繋げて社内の連携を推進するハブやキーパーソンとして力を発揮してくれるだけなら無害どころか有用な存在である。しかし、本人に自覚なく周囲に気を遣わせ、余計な心労を増やす負の存在へと成り果てることも多い。「お局様」などという表現もあるが、実際は男女関係なく存在する社会人の一種だ。
このような変な気を遣わせるベテラン社員は、当人をうまく転がすためのノウハウが編み出されることで、組織文化の劣化に寄与する。当人のトリセツの内容が独自ルールや暗黙の了解、お作法として定着して面倒を増やすのだ。
声の大きいだけの古株に気を使ったことで生まれるものは、正解のない仕事やこだわる必要がない仕事、好みでどうとでも評価できる仕事に無価値な正解を作り、それから逸脱することを許容しない、ムダだらけで息苦しい職場環境だ。しかし、問題の古株当人が無用な影響力を持っているせいで、改革が難しいケースは珍しくない。
なお、このような事象はどんな企業にも起こり得る。よって、歴史ある大企業だけでなく、あらゆる企業を分析するものさしとして、規模の大きさや歴史の長さは注目すべきである。現在、所属している自社を理解するうえでも、就職先や転職先をはじめとした他社を理解するうえでも有用な指標だ。
4.企業のコンプライアンス意識|徹底したリスク管理が社内ルールや事務手続きを複雑化させる

意外に思う人もいるかもしれないが、その企業のコンプライアンス意識が高くなるにつれて、組織文化の独自性や特殊性も強化される傾向がある。これは、法を守らず従業員も蔑ろにする無法な振る舞いと対極にある、ホワイトでクリーンであるが故に生まれる特異性だ。
簡単に説明すると、コンプライアンスの徹底が社内ルールや手続きの増加につながり、結果として企業独特の文化の形成を加速させるという話である。
企業がコンプライアンス意識を高め、法令遵守を徹底すること自体は良いことだ。しかし、企業組織がコンプライアンス強化に取り組むと、それに比例して管理する物事が多くなり、付随して社内ルールや各種手続きも増加する(ちなみに、企業規模が大きいほどこの傾向はさらに強まる)。
結果、社内向けの仕事が増え、組織構造や意思決定の流れは複雑化していく。それに伴い、自社でしか通用しない社内向けの立ち振る舞いのコツ、すなわち「企業固有のスキル=ファームスペシフィックスキル」が多数発生し、社内だけに存在する常識やお作法も増えていく。
結果的に自社独自の、外からはわからない組織文化が形成される。大手企業のみならず、コンプライアンスに厳しい組織かどうかは、その企業で独自の慣習やお作法が幅を利かせているか測る有用な物差しだ。
5.チームプレーかつ評価基準が減点法の仕事の量や割合|正確仕事は独自ルールとお作法を生む

「チームプレーが多い仕事」と「評価基準が減点法の仕事」の両方に当てはまる仕事は、協調性や正確性が重要視されることが多い。どんな仕事でも大なり小なり必要な能力ではあるが、その重要性が高すぎると相応の害が生じる。
というのも、このような仕事の業務フローは複数の人間がミスなく円滑に業務を遂行できるように策定することになる。これは間違いでも悪でもないのだが、結果として、独自ルールや手続きが大量発生しやすい。
その全てが明文化されマニュアルにまとめられていればまだマシだ。しかし、不文律やら暗黙の了解といった「お作法」になっていたり、口伝と慣れで引き継がれる職人芸になってしまっている職場も少なくない。
こうなると組織に適応するためだけに存在する「ファーム・スペシフィック・スキル=ある企業/組織でしか通用しない固有のスキル」ばかりが増えていき、組織文化と仕事はどんどんガラパゴス化していく。
しかし、そこに所属している人間=内側からはその事実に気づけないか、声を上げるのを諦めて現状を受け入れ、変化を起こせなくなってしまっている。
さらにタチが悪いと、ベテランが自分の存在価値を示したり、新人に頼られて承認欲求を満たすために利用する一種の既得権益として、ガラパゴス化をむしろ歓迎し加速させることすらある。仕事を職人芸の世界にしてしまうことで、限られた人事評価と自尊心を高め他人と差をつける機会を無理にでも増やし自分を守ろうとするわけだ(ちなみに、このような仕事の「既得権益化」は「自動化」「効率化」などの業務改善としばしば対立する)。
このように、チームプレーでかつ減点法で評価される仕事であるかどうかも、組織文化のガラパゴス化の度合いを図る物差しの一つになる。そのような仕事が占める割合が多い職種や部署、企業であるほど、独特のお作法や組織文化も多い。
ガラパゴス化した組織文化への疑問を排斥しない姿勢が重要だ

人が集まれば文化が生まれる以上、どんな企業の組織文化も大なり小なりガラパゴス化し、独自性を持つ(当然ながら、公務員や非営利法人も同様だ)。また、組織文化のすべてが無駄につながるわけではないことから、組織文化のガラパゴス化自体が完全な悪なわけでもない。
しかしながら、無駄な組織文化が定着してしまったまま放置された場合、仕事が増える形で働く人間に悪影響として跳ね返ってくる。また、無駄に対する疑問や変化を望む声を排斥した場合、風通しの悪い組織文化の形成に繋がってしまうだけでなく、人間関係の悪化や、新しい人材の戦力化や定着がなされないことによる人手不足などの問題も生じうる。
そう、組織文化のガラパゴス化自体が問題なのではなく、それを当たり前と誤認してしまうことや、無駄や悪影響がある組織文化の変化を阻んだり放置することが問題だ。
仮に、個人経営の食堂のような、機械化・工業化された雰囲気を感じさせないことが付加価値となり、従業員の入れ替わりや著しい増加が見込まれない企業であるなら、ガラパゴスな組織文化を放置しても問題ないかもしれない。一方で、そうでない組織が惰性で生きながらえている独自のお作法を放置するメリットはない。
よって、所属組織が持つ組織文化や独自のルール・お作法に対する疑問の声を排斥しない環境の構築が非常に重要だ。当たり前のものとして定着してしまった変な組織文化に疑問を持てるのは、外部の人間や最近までそうだった組織の新参者ーー企業では新入社員や異動者など、影響力が少なく立場が弱い人間であることも多いからこそ、疑問を発しやすい環境は整えておかなくてはならない。
自分ひとりですべてを解決するのが難しいことも多い問題だからこそ、一構成員、一社員だったとしても、無視してはいけない問題だ。もし逃げてしまえば、まわりまわって自分の首を絞めることになるのだから。