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【実体験】通信制高校で人生終わりは嘘~通信制高校から大学に行って就職した話

2024年9月13日 じゆとり

じゆとり

「通信制高校に行ったら人生終わり」。そんな話を聞いたことがある。実際に通信制高校を卒業して大学に進学し、今は就職して働いている自分からするとメチャクチャな話だと思うが、グーグルで「通信制高校」と検索しようとすると「人生終わり」がサジェストに出てくるのを見ると、そんな不安を抱く人も結構多いのだと思う。

日本の社会における「普通の高校」の定義が、毎日朝から学校の校舎通ってクラスで授業を受ける全日制高校である以上、通信制高校とその生徒はマイノリティだ。そして、実際、集まってくる生徒が抱える事情も色々である。

スポーツや芸能といった夢を追っているというポジティブな理由で通信制高校への進学を選択する人ももちろんいる。その一方で、世間ではネガティブとされる理由で通信制高校への進学や編入を選ぶ人も多い。中学で不登校をしていたり引きこもりだったことで学校に行くこと自体に不安を感じている人や、起立性調節障害や発達障害を初めとした障害や病気を理由で通える高校の幅が狭まっている人、様々な事情で学力が無さ過ぎて行ける高校が無い人などだ。

この記事は、どちらかというと、そんなネガティブな理由で通信制高校への進学や編入を考えている人や、実際に入学編集したに向けて書いている。

本題に入る前なのでフライングになるが、筆者自身、中学生活の約半分を不登校で過ごしたし、高校を卒業してからわかったが発達障害も抱えていた。通信制高校に通ったのも、週5日学校に行って一日中授業を受けてクラスメイトと一緒にいる生活に耐えられそうもないという後ろ向きな理由だ。でも、無事に高校を卒業するだけでなく、日東駒専・産近甲龍クラスのそこそこいい大学にも進学し、その大学も無事に卒業して就職することもできた。

もちろん、努力だけでなく環境や運に助けられた部分も大きいので、「やればできる」「努力すればいい」なんて無責任な言葉を吐くつもりはない。でも、人生のイベントを乗り切って前に進むためには、運や環境だけでは足りない。自分自身の行動や選択も重要だ。そう思っている。

今、暗闇の中にいる人にこそ、知恵や戦略に基づいた行動が必要だ。それがドロップアウトした人生を挽回する要になる。そして、それを助ける強力な武器になる知恵の一つが、実体験の事例を知ることだと思う。

筆者のように行動すれば、通信制高校に行ってから普通の人生に戻れる保証があるわけではない。でも、一つでも多くの事例を知って、自分の中に引き出しを増やせば、あなた自身が人生における決断を下すときの力になる。この記事で提供するのは、そんな引き出しを増やすのに役立つ、一つのサンプルとなる事例だ。

前置きが長くなったが、実際に通信制高校を出てから大学に行き、無事に就職するまでの実体験をお伝えしよう。

【実体験】通信制高校に通った俺が大学に行って就職するまで

ここからは、通信制高校に行くことになった経緯のほか、高校時代の話や大学受験の話、大学生活の話から就職の話と、順を追って述べていく。

通信制高校に行くことになった経緯

筆者が通信制高校に行った理由だが、結論から述べると中学の時に不登校だったからだ。

この記事の本題ではないので簡単に話すが、中学2年の秋に不登校になった筆者は、不登校になった直後から約半年間どこにも所属せずに過ごし、その後、中学3年の約1年を民間のフリースクールで過ごした。

不登校になった理由は当時は言語化できなかったが、今思うと細かいストレスが積み重なった結果である。大学時代に判明することになるが、筆者は発達障害(ASDとADHD)を持っており、中学校特有の独特の雰囲気や中学生の人間関係などの環境に多大なストレスを感じていた。何とか通学して部活にも所属していたが、日に日にストレスが増していき、中学2年の秋にはとうとう耐えられなくなって休むことを宣言したのである。

フリースクールでは似た境遇の同年代の人たちと友達になって楽しく過ごすとともに、高校も探して、結果的に住んでいた関西にある通信制高校の一つに進学した。

フリースクールからの進路に通信制高校を選択した理由はシンプルで、全日制高校に耐えられそうになかったためだ。

中学でも既に週5日決まった時間に学校に行って、一日中クラスメイトと一緒にいる環境で授業を受け、決まった人間関係の中で過ごすという生活に限界を迎えて不登校になり、その後、フリースクールで自由を味わっていた当時の自分にとって、今から堅苦しい日本の標準的な学校生活に戻ることは考えられなかった。

今になって思い返すと、人間関係をはじめとした学校生活の困難は、抱えている発達障害であるASDとADHDの特性に由来しているため、人間関係が濃密で、かつ、社会人みたいに割り切ることもできない全日制高校を選ばなかったのは正解だったのだが、当時の自分としては、とにかく学校生活から逃げたかったという理由が大きい。

ちなみに、一応、約3年経営して潰した会社を中3の3月に立ち上げる準備をしており(※その後実際に立ち上げた)、学校に行く時間を減らしてその経営に時間を使いたかったというポジティブな理由もあったが、100%中85%くらいは耐えられない事が占めていた。

当時、親は通信制高校への進学に反対で、学校に復帰するルートである全日制高校への進学を望んでいた。よって、実際に通信制高校を受験して入学するまでにはひと悶着あったのだが、数か月かけて何とか説得を成功させた。

そうして、当時15歳の筆者は通信制高校に進学した。進学先は地元に根差したとある狭域制通信制高校だ。登校日数は週3日の午前中~全日制高校と変わらない週5日終日の単位制コースから選択できたが、親との交渉の結果、最初は週3日の終日授業があるコースで通うことになった。

通信制高校での生活|一足早くモラトリアムを満喫しやりたい事をやる

通信制高校での生活を全体的に振り返ると、後悔ももちろんあるものの、大体は自分らしく充実させられたと思う。ネタバレをすると無事に3年で卒業してストレートで大学に進学するのだが、詳細は順を追って述べよう。

通信制1年生の頃の生活|自分が生きていける環境を勝ち取る

1年生の最初のころは、正直言ってかなりつらかった。筆者が通った通信制高校にはクラスがあったが、最初に選ぶことになった週3日の終日授業があるコースは、午前中は各自が選択した授業をバラバラで受けるのに、午後からはクラス全員で同じ授業を受けるシステムだったことからクラスの人間関係が濃く、人付き合いを苦手とする筆者には苦痛が大きかった。

結局、ストレスからすぐに挫折して午後の授業をさぼりがちになり、昼からは近所のカフェで事業の運営をしたり、卒業したフリースクールに顔を出して過ごすようになる。さぼっていることは親にすぐにバレたので、喧嘩を繰り返しながらも、既に通信制高校に入ってしまった既成事実を武器に、クラスの結びつきが薄い、授業時間が少ないコースに異動できるよう強引に説得を行った。

最初はかなり小言を言われたが、ゴールデンウィークが明けるころには親も諦めてくれたので、週3日の午前中のみ、自分で選択した授業を受ける通信制の色合いが強いコースに異動することに成功した。

そこからの時間は楽しかった。単位を取らないといけないプレッシャーはあったが、通信制高校の学力水準は易しく、普通に中学校に通った一般的な性と比較すると勉強から離れていた自分でも少し頑張れば解けるレベルだったので苦手科目の英語と数学以外は苦労はなかった。

プライベートも充実していた。なにせ週3日の午前中しか授業が無いので、時間は大量にある。会社の経営のほか、社会勉強も兼ねて週2日だけ、物流センターでのピッキングのアルバイトも始めた。バイトは向いている仕事ではなかったが、人間関係に恵まれたので1年近く続けられたし、会社の経営の方は順調ではなく赤字だったが、少しは売上を作ることができた(ただし、年度末の決算はカツカツで苦労した)。

一方で、人間関係はとことんダメだった。人と関わりたいという欲がそもそも少ない人間なので、通信制高校の人間関係の希薄な環境がベストマッチしてしまい、部活などのコミュニティに一切所属しようともかかわろうともしなかったので、誰一人として友達は居なかった。それで満足していたので後悔は無いが、人間関係の築き方や人との関わり方を忘れて閉まったので、大学以降の生活や仕事で苦労している。

でも、モラトリアムの時間はあっという間だ。筆者は年を重ねるごとに1年が経つ時間が加速している感覚があるが、高校1年目の生活もすぐに終わった。年度末のテストを無事にパスして単位を確定させたため、全日制高校でいう2年生に進むことになる...。

通信制2年生の頃の生活|学校も仕事もプライベートも中だるみへ

2年の頃は、正直言って一番無駄に過ごした自覚が大きい。

授業には真面目に出て単位を取っていたが、立ち上げた会社の方は思うように業績が伸びないこともあってモチベーションが続かず、最低限必要な管理しかせず仕事をサボる日々が結構続いた。インターネット関連の会社でパソコン一台で仕事が完結し、目の前に客がいるわけでもないので一切の監視や締切が無く、やろうと思えばいくらでもサボれてしまったのがこれを加速させた。

そのほかのプライベートの変化としては、2年になる少し前にバイトを辞めた。バイトを辞めたところで日常に大きな変化はなかったが、メリハリをつけた生活をするきっかけが本当に無くなった。最低限の勉強をして単位を取り、ダラダラ仕事をし、会社のキャッシュフローが厳しくなったら不定期でクライアントワークを受けて現金を稼ぐ、生産的なものは何もない生活を続けていた。

少し状況が変わったのは、年が明けて高校最後の年と大学受験が目前に近づいてきてからだった。

目指す大学も何一つ決まっていなかったため、3月から親に頼んで希望していた東京の大学のオープンキャンパスに何度も参加し、興味があった経営学を学べる大学で自分の実力で目指せそうな学校を探した。人生で初めて夜行バスに乗り、その過酷さに辟易しながらも、旅行する事が好きであることをはっきりと自覚したりもした。

面白そうな大学はいくつか見つかった一方、勉強へのモチベーションは上がらなかった。どうも筆者は、何か問題ややるべきことに直面すると他のことがやりたくなる面倒な気質を持っているようで、ここにきて受験から逃げるために会社の経営意欲が高まってきたのだ。結果として、春休みはオープンキャンパスに行ったほかはずっと仕事をしていた。

そうこうしているうちに高校2年の年は過ぎ去り、とうとうストレートで卒業するなら高校生活最後の年となる3年目になった。

通信制高校3年生の生活と大学受験|会社は潰したが大学受験と卒業には成功

無事に高校3年生になったのはいいが、勉強へのモチベーションは全く上がらなかった。1~2年の時に真面目に単位を取っていたこともあって卒業に必要な単位はほとんど残っておらず、授業の全てをAO入試や推薦入試の足切りで使われる平均評定を上げるために、いわゆる「楽単」で固めて、相変わらずモラトリアムを楽しんでいた。

予備校もあまり真面目に通っておらず、授業が無い時はもっぱら学校近くのカフェでパソコンを叩いて経営している会社の仕事をしていた。といって本業の業績は全然伸びなかったので、資金繋ぎのためのクライアントワークをしていることが大半だったが。

そんな生活を3年の夏まで続けて全くと言って良いほど勉強していなかったのだが、8月にそこそこ志望度が高かった大学のAO入試を片手間の対策をして受験し、余裕で落ちたことで状況が一変する。正直、AOや推薦だとどこかに楽に入れるだろうとタカをくくっていたのだが、それはFラン大学の話であり、一定以上のレベルの大学のAO入試は熾烈な戦いだった事に気づいた。そして、その頃には第一志望の公募推薦の受験日が2ヶ月先に迫っていたのだ。

結局、その後の1ヶ月半くらいは第一志望の大学に向けて死ぬ気で受験対策を行った。そのころには今の学力試験で入れる大学は平均以下であることを自覚していたため、よい人生を手に入れるために文字通り必死になったのだ。

受験科目は志望理由書と小論文と面接だったため、よく知っている高校の先生に頼んで面接練習に何度も付き合ってもらった。小論文は詳しい予備校の先生がいたので出題と添削を依頼し、毎日2問は書き上げてフィードバックを貰い、場数を踏んだ。そして、空き時間は全て志望理由書の制作とブラッシュアップに費やした。

結果として、10月の前半に受験した第一志望の公募推薦には見事合格し、10月の後半には進路が確定した。入った大学のレベルは日東駒専・産近甲龍クラスのどこかなので、完全に作戦勝ちである。

単位も取り切っていたので卒業の心配はゼロになり、文字通り燃え尽きて家で4月からの生活への期待に胸を膨らませながらダラダラした生活を送った。立ち上げた会社は経営する負担が大きくストレスでメンタルがやられ気味だったことと、大学に入ってから時間を取られるのが嫌だったため、その年の決算を機に休眠させて実質的に廃業状態にした。

年が明けてからは家族と旅行に行ったり、引っ越しの手続きをしたりとそれなりに充実した時間を過ごし、無事に卒業を迎えた。

大学生活|趣味とストレスなくできる仕事に邁進

大学時代は一人暮らしになって一気に自由になったので、趣味、有給のインターン(バイト代わり)をとことん満喫した。

コロナ渦での大学生活だったので、オンライン授業などの慣れないこともあったが、大学1年のころから興味があったWEBマーケティングを行っている企業でインターンとして働き、プライベートではバイクに乗ってあちこちを旅行した。1週間以上の長期旅行には3回行ったほか、離島への旅や予定を立てずに思い付きで旅行するなど、変わった旅もした。現在も続く趣味となるウイスキーにも出会った。

単位はとったり落としたりしたが、結果的に何とかなったので問題なしである。ゼミに所属して一人だけ親友と呼べる友達もできたので、一緒に食事に行ったり旅行をしたりもした。この時、やっと一般的な人生のレールに戻ってきた間隔があった。

また、大学時代に精神科を受診して、発達障害の診断が下った。医者によると、どうもASDをメインにADHDを併発しており(※これはよくあることらしい)、自分の人付き合いが下手な部分や、変わり者だと言われていた部分の多くがこの特性によるものだとわかった。中学生の頃、自分でADHDを疑った際に親に連れられて行った病院に居たのは専門外の小児科医で、ADHDの検査だけしてグレーゾーンだろうという診断だったが、専門医が見たらASD優位でADHDはサブという形で黒だったらしい。

主題ではないので詳細は省くが、受診経緯はフラッシュバックや悪夢、不安症などの別症状だったので、発達障害の診断は完全に予想外だった。しかし、フラッシュバックは発達障害由来の症状であり、不安に関しては発達障害の二次障害というのが医師の出した結論で、元をたどれば全て発達障害に行きつくようである。この不安は消えることは無いだろうが、自分のことをよく理解できるようになったのは収穫だった。

そうこうして、人生を楽しみながら自分と向き合っているうちに大学の4年間が過ぎ、就職した。

就職活動

就職活動は3年の春から会社探しと説明会への参加を始め、3年の秋から短期のインターンシップと選考を始めた。日東駒専クラスの大学だと、大手への就職は小売などのサービス業を除いて厳しい一方、大手の子会社や地銀クラスであればそれなりに就職する人がいるのが実情のため、大手の子会社やベンチャーに絞って選考を受けた。

結果として、早期選考で第一志望群だったとある大手の子会社の信販会社から内定を貰えて就活を終えた。そこまでは複数社に落とされていたほか、面接練習や筆記試験対策、志望理由書作成等を同時並行で行う必要があったため、受験以上にきつかったが何とかなった。

就職~現在まで

大学を卒業後は第一志望だった大手の子会社の信販会社に就職し、現在まで同じ会社で働いている。就職後すぐから今に至るまで、ずっと労働はクソだと思っているが、ホワイト企業に入れたので何とか続いている次第である。

就職して変わったこととしては、自由な時間が減ったことと、資格を取る必要が出て勉強から逃げられなくなったことだ。でも、大企業の安定を享受しつつ、プライベートでは自由に生きれているので、トータルでは人生が楽しい。

発達障害の特性や人付き合いが下手なのは相変わらずなので、会社では恐らく変人だと思われている。細かいことを気にせず、得手不得手が凸凹な人間が活躍しやすく、楽くて結果も出せたが不安定で変化が早いWEB業界の会社を出て、何でもそつなくこなせるオールラウンダーが求められるお堅い金融業界の会社に入ったので、正直、仕事はあまりできない。

でも、大企業の安定した基盤と、恵まれた仲の良い同期と、人を大切にする社風に助けられて、無事に生き残っている。色々な間隔が普通の人とは違っていて生きづらい間隔は全く消えていないし、仕事が終わるといつも疲れ果てているが、何とかなっている。これが現状だ。

発達障害をきっかけに人生につまづいて、普通の人生からドロップアウトして、またレールに戻って、結果的にここまで来た。筆者の今の人生は最高に良いベストな状態ではないが、比較的良いベターな状態だ。通信制高校に行ったが、人生は全く終わっていない。

どう生きるかは自分で選択するしかないが、そこからだけ逃げなければ、人生につまづいても・他のことから逃げ出してもリカバリーはできるものである。もちろん運や環境、生まれ持った資質も関係するが、それなりによい人生は意外と手に入る。

通信制高校に入って人生が終わってしまうのは、通信制高校に入ったからではなくて、自分の頭で考えて行動しないからだ。それができない人は、通信制高校に行こうが全日制高校に行こうが人生は終わってしまうだろう。

一度転んでも何とかできる人生もあるということが、暗闇にいるあなたに少しでも伝わると嬉しい。

通信制高校での生活で人生を終わらせないために必要な6つのこと

通信制高校に行ったからといって人生は終わらない。しかし、時間の自由がある分、ぼんやりとダラダラ過ごしていると、何もなしえないままあっという間に卒業することなってしまうか、単位すら取れずに中退するかのどちらかになりがちだ。それが結果的に人生が終わることに繋がる。

よって、通信制高校に通う場合は、通信制高校に行って何をするかが非常に重要となる。ここからは、通信制高校での生活で人生を終わらせないために大切な6つのコツを、実際に通信制高校を卒業した筆者が紹介する。

1.最低限必要な単位はとりきる

まず、今自分がどんな状態であっても絶対にやらないといけないのが、単位を取ることである。これが無いと卒業できないし、社会は中卒には非常に厳しいので、通信制高校すら中退してしまうと、将来の働き口が大きく限られてしまう。

よって、後述するメンタルが壊れているといったシャレにならない状態であっても、最低限単位を取ることは辞めてはいけない。間違ってはいけないが、3年で卒業するのはベストではあるものの必須ではない。できることを辞めずに続けることが大切である。

2.メンタルが壊れているなら休めるだけ休む

次に重要なのが、今、あなたのメンタルが限界に達しているのであれば、「できる範囲で単位を取る以外のことは頑張らない」と決めて、休めるだけ休むことである。これは人生をダメにしないための最優先事項だ。

「休む」という明確な意思をもって休息を取らないと、人間は焦燥感にかられながら動けない状態で過ごしてしまうため、体は休まっても心が全く休まらないままダラダラと時間だけが経ってしまう。これは筆者が実際に発達障害の特性が生む生きづらさのストレスや会社の経営のストレスでメンタルを病んだ結果、身をもって体験したことだ。

そして、心が壊れると回復には長い時間がかかるし、一度病んだことによって生まれた人生に対する不安感が消えることは無い。加えて、未成年の子供は親がいないと精神科や心療内科には繋がれないため、親に理解が無い場合は成人する18歳まで誰にも助けを求められずにひたすら耐えるしかない。これは過酷だが、残念ながら現実だ。

よって、メンタルがやられている中高生の方は、休息を最優先に生きることをおすすめする。

3.やりたい事があるなら後悔しないレベルまでやり切る

続けてするのはポジティブな話だが、今、何かやりたい事がある人は、それを後悔しないレベルにまで徹底的にやりきるべきである。

通信制高校に通うと授業時間が短いケースが多いため、普通の高校生より自由に使える時間は格段に多い。でも、その自由な時間を充実させられるのは自分だけなので、ダラダラスマホをいじってばかりいたら、卒業までの時間が過ぎるのはあっという間だ。

よって、何かやりたい事がある人は、今すぐ初めて後悔しないレベルまでやりきることをおすすめする。それは人生を充実させるとともに、どういう結果になっても自分の自信や学びに繋がる有意義な活動だ。

筆者自身、通信制高校に通った3年間で会社を経営したが、恥ずかしながらダレてゴロゴロ過ごした時期もあった。今思えばその時間に資格の一つでも取っておけばよかったと後悔している。

4.人と関わる機会をゼロにしない|人間関係の築き方は簡単に忘れる

ここで述べるのは、主に陰キャに耳の痛い話だ。人への興味がなかろうが、人が怖かろうが、人間関係を築く努力をする機会をゼロにしてはいけない。これは通信制高校で人生が終わる可能性を非常に高める。

通信制高校の基本は自宅学習の通信教育であり、レポートを出せば単位が貰える。よって、うっかりすると、教員以外の人とほぼ会話することなく卒業してしまえる。つまり、人と関わったり友達を作りたければ、自分から動く必要があることを意味する。友達が欲しいごく一般的な人は自分から友達を作りに行くだろうが、人と関わりたいという広く人間が持つ根源的な欲求が乏しい一部の人や、人が怖い人はどこまでも人間関係から逃げられるのだ。

しかし、人付き合いから離れていると、人間関係の築き方や維持の仕方は簡単に忘れてしまう。また、人付き合いはやってみないと上達しないものである。

筆者は人付き合いが得意ではない事に加えて、一人でいくらでも楽しく過ごせてしまう、人と関わりたいという欲が少ない、他人に興味を持ちにくい人間のため、高校時代は一切のコミュニティに所属せず、人付き合いを全くしなかった。結果として、人間関係の築き方や友達の作り方を忘れてしまい、大学でウマが合いそうだったゼミの同級生と仲良くなろうとした時に苦労したほか、社会人になって仕事を始めてからも社内や同期の人間関係がわからず苦労している。

これは発達障害のASDに多い非言語的コミュニケーションが苦手なことも一因だが、改善できるときにしなかったのも原因なので、大いに反省している点だ。

もしあなたが人に恐怖心を持っていたり、人付き合いが苦手な人であっても、新しい人間関係を一切持たないことは絶対にしないことをおすすめする。

5.少しでもいいから貯金する|散財癖を付けてはいけない

通信制高校に通うと自由に使える時間が増えるため、空いた時間でアルバイトをする人も多いだろう。この時に気を付けてほしいことは、散財癖を付けないことである。

バイトを始めて手に入る金額は、中学生の頃の小遣い等と比較すると格段に高額であるため、学生が欲しいものの多くは何でも買える気になってしまう。しかし、給料を散在して使い果たす癖をつけると、大学生以降の生活で必ず苦労する。というのも、一般的に大学生になると自由に使えるお金が増えるというのは全日制高校の高校生の基準で言われているため、多くの場合、大学生がバイトに使える時間は通信制高校の生徒がバイトに使える時間より少ない。よって、生活水準を高校生の時点で挙げてしまうと、散財を辞められなくなってしまうのだ。

通信制高校に通ってバイトをする人は、毎月きっちりと貯金することを心がけよう。

6.自分と向き合い将来を考える|人生から逃げてはいけない

最後に、通信制高校で人生を終わらせない為に最も重要なことを紹介する。それは、何かから逃げたとしても、自分の人生からだけは逃げないことである。

自由な時間ほど過ぎるのは早いので、通信制高校で過ごす時間はあっという間に過ぎる。そのような状況で、卒業後の人生を良いものにするためには、自分の将来を真剣に考えて行動することは必須だ。

自分の将来と真剣に向き合うには、以下のようなことは最低限考える必要がある。いわゆる自己分析だ。

  • 今の自分のありのままを受け入れる:良いところも悪いところも自分自身
  • 自分がやりたい事とできることを考える:やりたいことが仕事に結びつくとは限らない
  • 自分が大切にしたいものに優先順位をつける:お金・時間・恋人など何でもよい
  • 自分ができないことを考える:どうしてもできないことは把握しないと辛い
  • 自分がやりたくないことに優先順位をつける:我慢できることとできないことを明確化する

上記のことを把握しておけば、進学先も就職先も確実に選びやすくなり、ミスマッチを減らすことができる。どう生きるかは自分で選択するしかないので、自分の人生からは逃げないようにしよう。

まとめ|通信制高校には自由がある

この記事では、通信制高校に行くと人生が終わるのではないかという疑問に、筆者の実体験をもとにお答えした。

通信制高校には自由がある。だが、自由には責任が伴うため、手に入れた自由な時間をいかに使うかが将来を左右する。繰り返しになるが、通信制高校に行ったから人生が終わるのではなく、通信制高校に行った後に時間を浪費し人生から逃げるから人生が終わる。これを間違えてはいけない。

もし、通信制高校への進学や編入を考えている人や、実際に通信制高校の学生の人の不安が和らいだのであれば幸いだ。

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